忘備録

大変ご無沙汰しております。
皆様いかがお過ごしでしょうか。お変わりはないでしょうか。
久々でなんなんですが、忘備録として記しておきたいと思います。
現状で思い出せることを書き、あとで間違えがあれば修正し、大切なことは加筆したいと思います。
今もそうですが、あの日から薄氷の上をずっと歩いています。いつまでそうなのか予測もつきません。
1月29日 朝のニュースで初めてその存在を知りました。武漢という地から日本まで約2500キロ。
当初は、季節性のインフルエンザのように時期が来れば消滅するもの、また2003に一瞬緊張しましたが、SARSのようなものと根拠はありませんが、うちは大丈夫だろうとの思いがありました。
2月中旬になり施設内でも少しづつ話題になり、施設内での感染対策対応について検討する。比較的初動は早かった記憶。
厚労省、県、市、SNSにて情報を探る日々。震災後にもデマ情報で惑わされることが多々あったことを思い出す。
危機的意識が2月上旬より日に日に強くなっていったことが手帳に書いてありました。
2月25日 当施設内の感染対策委員会にて対応を検討。オフィシャルな会議は初めてでしたが、現場レベルとしては随時相談対応を検討していたと記憶している。
・入所者家族へ面会の制限 (急変やICなど医師が必要と認める以外)
・職員及び来訪者の検温の実施
・不要不急の外出を避ける(この時期jはまだ行動制限のレベルではなくあくまで要請程度)
・体調不良者(職員)は躊躇なく休んでもらうようにするため体調管理に注意するよう周知
・あまり過剰に反応せず、手洗い・うがいをしっかり行うように再度周知 を決定。
2月26日以降 断続的に県や市から衛生材料で不足しているものはないかとの問い合わせあり。
不足したもの
・マスク
・消毒液
・プラスチックグローブ
・デマ情報によりトイレットペーパーの紙類が不足(いつもお世話になっている業者の特段の配慮により不足せずにすみました)
以前よりストック量は把握しているため備蓄適宜放出、購入という形でなんとか乗り切る(いや乗り切っていない)
今思えば、備品が不自由なく使えることは大変ありがたいことです。震災時にも思った職員は多いと思いますが、なんでもない日常は幸せです。
3月2日及び4日 会議等で当施設の取り組みを全職員へ周知する。
国、県からの基本方針をベースに当施設での感染、蔓延を絶対にさせない思いを強くする。
3月5日 県内で感染確認 いっきに緊張
4月9日 市内で初感染確認 薄氷が割れたと感じる
4月16日 緊急事態宣言 終わりの始まりと悲壮感しかない
4月24日 所在地の那須塩原市の非常事態宣言
表現としては色々ありますが、当施設の緊急事態宣言は面会を制限した2月26日となります。
またあとで追記します
hitomi
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